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成長

2015年シーズンお疲れ様でした。

最終戦も「今日は勝てるんじゃないか?」みたいな淡い期待の空気に甲府の冷たい風が差し込む結果となりました。

 

J2という、下部リーグという新しい世界への旅立ち、いろんな苦難があるだろうとは思うけれど、それと同じくらい楽しいことがあるはずで、知らない世界へ行くという海外旅行と似たような感覚になっています。

 

再出発に向けて、というか今期この結果に至った理由である今の課題について、向き合っていく時間が始まったんだと思っています。クラブ、社長、社員、スタッフ、監督、コーチ、選手、サポーター、市民。。。それぞれのレベルでそれぞれの課題がいろいろ見えた1年だったと、結果が伴わないから時は小さな失敗でも大きく取り上げられてしまい、結果が良ければ結果オーライと見過ごすことも多々あるわけで、結果が炙り出したものに対して、見直したいところです。

 

で、サポーターってどうするべきなのかって最近すごく考える機会があって。

見に行きたい試合に、行って、見て、楽しく応援して、結果に一喜一憂する、そこで生まれた感情を仲間とあーだこーだ話す、そんなところがすべてなように思うのだけど、Jリーグできて20年でサポーターっていうのも成長や変化を遂げてきて、たくさん問題もあった、いい話もあったりした中で、今の自分たちは決して上手く行ってるとは思えないところがあって、それがどこなのか、どうしてそうなるのかっていうところを考えてしまう。

自分たちはこうしたいって思うことがあって、自分が好きなようにやっているうちは問題なくても、世界が広がって隣の人が見えてきて自分と違うところが見えてきた時にどうするのか。不満を抱きながらも心に秘めている人、不満を仲間と共有しようとする人、不満を相手にぶつける人、不満を大声で叫んで拡散しようとする人。

自我が芽生えた子供が成長する過程で、言葉を持たない中で周りに伝えるために泣き叫ぶというのを聴いたことがある。わーわー叫べば周りが気にかけてくれる。大声で拡散をするということがそれに近い行為に思える時があるんだよね。ただ、それが幼稚だと言うだけじゃなく、生物的に単純に一番ベーシックな不満の伝え方なんだとは思っていて、方法として間違っているとは思わない。

でも、だんだんと泣き叫んで訴えることをしなくなって、他の方法を覚えていく。子供なりに考えて、自分の希望を伝える工夫ができるようになる。

 

逆に自分が親だったらって想像した時に(内容にもよるんだろうけど)、子供が泣き叫んでせがんでくるのと、子供なりに考えて親の気持ちに訴えかけてくるのとだったら、後者だったらその努力を見て多少寛大に受け止めてしまうような気がする。こんなにやりたいんだなと感じると思う。まだ子供がいないからわからないけど。自分の望み通り行くためにどうするのかって正解がない問題に対して、いろんな手段を考えて状況に合わせて使い分けることができるようになりたいなと思っているんだけど、実際なかなかうまくは行かないのも充分わかってはいるつもり。

 

そうやって考えると、90分間全力で叫んでっていうのは、サッカー選手でも90分間しっかり戦うのは難しいわけで、応援も常に100%ってのは難しいと思う。って考えると、試合の応援注力すべきポイントをもっと感じてやれたらいいんじゃないか。そういうことを考えている人もいるんだろうけどね。劣勢の時こそ応援してあげる必要があるのかもしれないし、時間帯や状況、自分と相手の戦術、癖なんかも考えてここが一番大事な時間だってところで、集中を切らさないとか、盛り上げて思い切らせるとかできるといいよね。

そういう意味でも、いろんな情報を取り入れて判断していくことも大切だなと最近つくづく痛感している。

 

応援でどこまで試合を変えられるかはわからないけど、わからないからこそ突き詰めていく楽しみがそこにある気がするから、さっきも書いたようにJ2って違う環境で刺激を受けるのは楽しみではあるよね。本当はもっと海外のリーグ戦とか観たい。んで、どうやったらより楽しく気持よくそして結果が伴うものになっていくか。