リアクションライフ
ブログって何のために書くのかってことを年初の家族の集まりで父親から聞かれた。
なんで自分の思ったことを公に出すのかと。単なる日記なら非公開でいいじゃんって。
その場では反論できずに今ここにブログを綴ろうとしている。
「そこにブログがあるから」と言えば聞こえはいいのかな。
ブログっていうサービスがあるから書いてみようかなと思う。
ソーシャルサービスが増えて個人が発信できる機会が増えた、ように見える。
アクションを起こせる機会が増えた、ようだ。
機会というのはチャンスなだけであって、実際増えたかは別問題。
TwitterやFacebookでは、特にリアクションを持って発信していることが目立つ。
ブームになっている”炎上”もその類のひとつだと思う。
ある人が言ったことに対しての過度な反論をする。それに大勢が便乗した結果炎上。
もう、 炎上って一種の戦略だとすら思っちゃうよね。
これだけ情報が溢れている中で印象を残すためには、爆発炎上するくらいのインパクトが必要でわざと炎上させている…みたいな。そういうことだったらまだいいとして。
他人を反論することを否定するつもりはない。
だが、相手の身を考えるということを疎かにしているケースがあまりに多いのではなかろうか。
納得できないことがこの世にあるのは、むしろ当たり前のこと。
他人の言動を「おかしい!」「変だ!」「迷惑だ!」と思うのは、あって当然。
ただ、それには何かしら原因があるはずだ。
言動に理由がないことは滅多にないだろう。無意識だったとしても、無意識に発言・行動した背景には、育った環境だったり、その辺も影響していることが多い。そう思うのは実体験からだ。
赤の他人であるにまして変なこと言っているやつの背景なんか知るか!と思うだろう。
相手のことなんか気にする必要ない。というのがWebの恐いところだと思う。
顔が見えない、接点は簡単に切れるからそう思うのも自然なこと。
話が反れた。
人生はリアクションの連続なのかもしれない。
誰かが何かをしたことに対して、自分が何かを思い行動する。その連続。
そのきっかけの、その歯車のひとつになれば。