ULTRA'

サポーター論っていろいろ語られていて、語っても語り尽くせない話題の1つ。その議論自体が不毛だという人もいるけど、論じた上で結論をまとめることはできないだけであって、それこそ育ってきた環境が違えば考えが異なって然る。結局は"自分が楽しいこと"が優先されるのだという考えの人が多いのは現代的なのかもしれない。

"楽しいこと"とは、個人差があるので結局多くの人が集まった中で、それに1つのチームを応援をしようとなった時に、食い違いが生まれて不快感が出てしまうのも避けられないんではないだろうか。
そもそも、楽しむことを目標にする時というのは、苦しいことをやる時、望まないことをやる時に設定されるのだと思うと、応援する時に楽しむことを意識してやるというのはとても違和感がある。
そもそもの応援の本質的な部分は楽しくないのだろうか・・・?

 

サッカーファンの中にある「ウルトラス」って言葉にはどういう印象を持っているだろうか。

http://samba38.tumblr.com/post/144629364791/リンクの英語版ウィキペディアによればultrasというのはラテン語で英語で言うならばbeyond

samba38.tumblr.com

通常レベルを超えていることを意味するのがウルトラスだというのだ。

そして具体的な行動・メンタルも記されているが、このように認識している人はこのWikipediaを読んだ人くらいなのではないだろうか。

→試合の結果に関わらず、試合中は決して歌や応援を止めない
これは、今の応援論では一般的であると思う。負けていても試合終了までは応援しようよ!と言う声はよく耳にしたり見かけたりする。実際には実行できていないことも多いにせよ、この考え方については浸透しているように思うので、改めて明記されていることに新鮮さすら感じる。
→試合中は決して座らない
これも明文化されていることも珍しいような、ごく当たり前のような印象が私にはある。もちろん座ってサッカーを見る人もいるし、座っていても応援している人がいるのは認識しているけれども、他の人より応援しよう!って思っている人は大概立っている。なんでかは知らぬが。
→コストや距離に関わらず、ホームゲーム、アウェーゲームに可能な限り足を運ぶ
可能な限りというのは、行けるようにするための努力は惜しまないということで解釈した。遠いから行けないではなく、遠いけど行きやすい方法がないか、お金がないから行けないではなく、お金がないなりに行く方法がないかも考えて行くために行動するということかな。
→(ウルトラスの)グループがいるスタンド(与えられたエリア)に忠誠を誓う(リスペクトする、大切にする、という意味でしょう
忠誠を誓う、リスペクトをするっていうと難しい印象があるけど、(例えば中心地で)応援するならその思いに対しては全力を尽くすということでいいのかなと。


いま自分がこれに当てはまるか(当てはまりたいかは別として)を考えてみるとどうだろうか。
そもそもこれが正義だ正解だということでもないし、他人から見てどう見られるかはさておき、ウルトラスを名乗っている人たちがこういう風なことを思ってやっているのかもしれないと思ってみると、より尊重しながらできそうだよね、と思ったり。

 

http://samba38.tumblr.com/post/144636720561/いつの日か日本代表のキャプテンにワールドカップの優勝トロフィーを誇らしげに掲げて欲しいいつの日か

samba38.tumblr.com